戦前のMRAと日本での活動

創始者ブックマン博士(Frank N. D. Buchman)は米国、ペンシルバニア州のアレンタウンという町の出身である。この地域にはペンシルバニア・ダッチと呼ばれ、代々深い信仰心を持った人々の集団が、ヨ−ロッパから移民して以来居住していると言われている。本来スイス系と伝えられるブックマン博士の家族(祖先の故地は東部のサンガレン付近)もそうしたグループに属し、博士自身もルーテル派教会に所属、孤児院の運営等社会運動に従事していたが、経営陣との間に軋轢を起こし、第一次大戦後、煩悶を抱えたまま英国に渡った。イングランド北部のレーク・ディストリクトと言う風光明媚な地にある、ケスウィックという町に滞在中、精神的啓示を体験し、それをもとに教宣活動を開始した。賛同した学生青年達と共に、生活改変の契機として正直、純潔、無私、愛の4つの絶対道義標準を提唱、これを基盤として地域や世界情勢の変革を志す人々の活躍が、英国を中心として西欧各国、南アなどに拡大していった。当初の賛同者にオクスフォード大学の学生や教員が多かったことから、世上ではオクスフォード・グループと通称された。


戦前オクスフォード大学でブックマン博士に
出合い戦後MRAハウスの設立等活動を指導した
三井高維夫妻
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改変生活 昭和13年10月号
表紙
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岐阜での全日本オクスフォードグループ集会
昭和13年8月24日
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たまたま第一次世界大戦後の西欧には、精神的空白や絶望が蔓延していたので、グループはこれに応えるため、西欧各国で種々のプログラムを展開していた。1930年代に入り、ナチス・ドイツの台頭、ロシアを皮切りとする共産主義革命の普及などに直面してからは、著書「世界を再造する」(Remaking the World)に盛られた理念を掲げて全世界を対象とする運動に昇華し、昭和13年(1938)、ロンドン東部のイーストハム地区の公会堂での講演で、「道徳再武装」(Moral Re-Armament)を提唱した。MRAという言葉の語源は、そのときの講演の中で「今後は軍備の拡大ではなく、精神的道義的に再武装された人々によって新しい世界を作らなければならない」と言った博士自身の言葉に基づいたものである。以来MRAは、それまでのオクスフォード・グループという比較的宗教色の濃い運動から変貌し、世界全体を視野に入れた独特の精神的思想的活動を展開することとなった。


「世界を再造する」抜粋(相馬雪香訳) PDF形式

改変生活抜粋 23頁 PDF形式

日本にもそれ以前からオクスフォード・グループに賛同する人々があり、「改変生活」という標題の雑誌を発行し、各地で定期的に会合を持つなど活発な活動が行われ、宗教的体験の普及を軸としてかなりの成果を上げていたように見える。「改変生活」への投稿者の中には、賀川豊彦、山根可E、高原義男等の名前がしばしば登場している。

昭和13年(1938)以降、オクスフォード・グループの変容とMRAの発足等新しい状況が日本にも逐一伝えられ、日本人支援者の間でも、ブックマン博士にならって全世界を視野に入れ、世界の再造を目指そうとする考え方が理解され始め、「改変生活」の記事のトーンも変わり始めた。

昭和14年(1939)にはブックマン博士の意を受けてローランド・ハーカーというアメリカ人が来日し、青山学院、旧制第一高等学校等で教鞭を執る傍ら、日本でのMRAの活動を支援した。しかし昭和16年(1941)真珠湾攻撃により日米両国が戦争状態に入ると、ハーカー氏は強制送還され、日本での運動も事実上中断することとなった。


Rowland Harker Japan Diary 1939-1943
鹿児島純心女子短期大学「しるべ 第6集別冊」表紙
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日本日記翻訳 28頁 PDF形式
 

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