LIOJ 35th Anniversary
「LIOJは私の母校」
(株)ブライトキャリア代表取締役 森下 一乗

 五十代を過ぎると世間が狭く感じる。LIOJについて、青春を思い出すが、英語を学んだことはその後の人生に大きな影響を受けている。

 英語は私にとって、山の向うにある楽園のようなもので、欲しいが手に入らないものの代表格であった。

1 LIOJとの出会い

 私は、鉄鋼業にあこがれ、1962年、八幡製鐵(現在の新日鐵)に入社し、九州で青春時代を過ごした。人事、労務部門に従事した後、海外勤務の夢が強まり、毎年自己申告に希望を出したものである。

 本社に勤務中、LIOJの一ヶ月コースがあることを聞き、会社に申請を出したところ、幸いにもOKが出て、参加することとなった。

 小田原に向い、山の上のアジアセンターに到着した。同級生は十人位であったが、企業出身の研修生で、ほぼ海外勤務が予定されている人が七割位いたようだ。

 まず、始めるに当たって、筆記と会話のテストがあり、私は下から二番目のIIであった。

 クラスは、数チームあったが、面白かったのは、全て外人の先生で、食事も一緒、日本語は使わないこと、と指示された。めずらしさもあって、よし、一言も日本語を使わないで過ごしてみることとし、家族への電話も全て英語となり、妻はとまどったようだ。一番びっくりしたのは、海外勤務の内示をするために電話をかけて来た上司である。突然、英語が出て来て、内示しているのに、「アイ、シー」と答えたので、頭がおかしくなったと思ったようだ。

 クラスは、良い友人が出来て、なごやかに進み、二人一部屋のベッド生活も快適であった。良く、クラスメーツと、先生の下宿へ遊びにいったり、飲み会を計画した。

 当時、米とカナダの区別が十分つかず、あの先生は親切だとか、彼は厳しいとか、先生の評価をしたりしていた。

 コースはテープによるヒアリング、映画の会話の聞き取り、話し方等、今から思うと、良く出来たカリキュラムであったと思う。特に映画の会話は良く判らなかったが、「卒業」という映画で、中身をすっかり覚えてしまった。

 コース途中で、マークという先生の家族が中東で航空機の墜落事故で亡くなり、送別会をセットして、元気付けたりした。

 一ヶ月のコースが終了する時点で、テストがあり、驚いたことに、私は最高位のVIレベルとなった。校長はランス・ノールス氏であったが、発音は悪いが、十分コミュニケーションが取れるといって、強く推薦してくれたようだ。私は外国の人が同じ人間であることが判ったし、英語という手段で自分の意志が通じることが出来るようになり、LIOJに心から感謝した。

2 英語の力

 英語が人生を豊かにする。LIOJの卒業生として、アジアセンター・学校に心より感謝している。

 その後、私はアルジェリアに派遣が決まり、2.5年、現地に勤務することになった。

 ところが、全て順調と言う訳には行かない。

 アルジェリアは公用語が仏語である。急遽、私は仏語を学ぶことになった。私はLIOJのシステムを自分で企画し、仏語に当てはめたのである。

 全て上手くいくということでは無いが、なんとか、仏会話も出来るようになり、現地でアドミ(総務)の仕事を行うことが出来た。

 そこで、また人生観が変わってしまった。サハラ砂漠を見て、現地の人と付き合ううちに、新日鐵という組織から、自由に飛び出る勇気がついてしまった。アルジェリアの友人から、貧乏な日本に帰国せず、帰化しないかと誘われたが、もし、イエスと言っていたら、今頃どこに住んでいるだろうか。

 LIOJの知人とは、今でもお付き合いしている。東京女学館の渋澤館長、ランス夫妻(サンフランシスコ在住)、当時事務局の高橋正美氏(箱根在住)、瀬戸氏(小田原市役所勤務)、等々である。親しかったマークは、シアトルにいる。二十年を経てまだ付き合いの続いている、よき友人を持てたのも、LIOJに一ヶ月入学したおかげである。

3 世界は一つ(スモールワールド)

 LIOJには後日談がある。人材コンサルティング会社である(株)ブライトキャリアに移って十九年になる。海外との仕事を通じて、友人となった、ウィニー・ドーンズ女史と夫、カール・ディニー氏とは十年近いお付き合いで、米国で、私の娘(NY在住)も母親のようになついているのであるが、びっくりしたことに、このドーンズ氏の父がLIOJに関係が深い人であったのである。

 ドーンズ氏の父親は、戦前のビルマ、日本、中国に在住した方であるが、一時期、日本のLIOJの校長をしていたことが判明した。

 その方は、本を書いているが、四人の子供を連れて、ビルマの戦火を逃れたり、中国に渡ったりと、東南アジアに愛情を注いだ先生だったと言う。

 二年前、ウィニー夫妻を小田原のLIOJに案内したが、その父親を覚えていたのが、箱根の高橋氏である。(ゲストハウス社長)

 事実は小説より奇なりと言う。世界は狭い。スモールワールドなのだ。その世界をつなぐのが英語、仏語等、言葉なのである。

 LIOJの果たしてきた役割は大きい。しかし、常に世の中は変化していく。その変化に合わせて、LIOJ、アジアセンターがその時代のリードをしてもらいたいと思う。

 アジアセンターが四十周年を迎えるに当たって、心から感謝の気持ちを述べると共に、今後とも、存続と発展を祈る者である。

 「伝統とは、古き力を克服する新しい魂なり。」

4 「提言:LIOJへ今後期待すること」

 英語教育は、古くて新しい教育課題であろう。LIOJが良いのは、(1)ネイティブスピーカーが教師である。 (2)生活の中で英語を学ぶ。 (3)日本語から離れさせる。 (4)泊り込みで、英語に専念出来る。 (5)ピクニック等楽しい行事がある。 と言ったところである。

 現代は、企業も余裕がなく、仕事を一ヶ月離れて研修するとしても、生徒集めが大変であろう。

 そこで、次のような案も考えてみてはどうであろうか。まず、ウェブをフルに活用する。予習、復習をウェブでやりつつ、実践のコミュニケーションは、ビジネスホテル等を活用して、泊り込みで研修を行う。宿泊中は食事中を含めて、一切、日本語を使わないようにする。

 LIOJの基本的なコンセプトを現代に活かす道をぜひ検討して欲しいと思う者である。

*2002年アジアセンターODAWARAの40周年記念行事に寄稿


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