LIOJ 35th Anniversary
「翻訳家になるとは予想外」
波多野三郎

 一九八六年にLIOJのプログラムに参加したとき、まさか私が将来、翻訳家になるとは夢にも思っていなかった。いまでは翻訳書を三〇冊ほど手がけ、中には『神々の指紋』のように二五〇万部のベストセラーになる本も出た。肩書きは国際フォトジャーナリストだが、「翻訳家・大地舜」といったほうが、世間の通りが良くなってしまった。

 LIOJで英語を学ぶことになったのは、米国のロサンゼルスにあったペースパブリケーション社で雑誌の編集を学ぶためだった。そこで、実業之日本社の「実業の日本」編集部を辞め、小田原にやって来た。

 当時の校長はローランド・ハーカー先生。私は「教師」という存在に子どもの頃から白い目を向けていた。「教師なんてインチキだ」となんとなく思っていた。だが、ハーカー先生は別格で、私は生まれてはじめて先生という存在を尊敬する事となった。

 ハーカー先生とは先生と生徒という関係だけでなく、友人でもあった。親しくなってから、悩みもいろいろ聞かされた。ハーカー先生は子どもの頃、女の子として育てられていたのを、皆さんは御存知だろうか? 先生から写真を見せられて、私も驚いたが、可愛い女の子が写っていた。このことがハーカー先生の劣等感の一つになっていた。さらに「白人は毛唐ですよね。わたしも毛むくじゃらだし、すごく劣等感を感じます」といわれて、「いや、そんなことないですよ、男らしいと、喜ぶ女性もたくさんいますよ・・・」と、慰めたことも印象に残っている。その後、結婚されて、私の励ましも意味があったかと嬉しかった。ハーカー先生はまったく飾らない人柄で、率直であり、人のいやがる仕事を率先して行う方で、当時二三歳だった私を友人として扱ってくれた。

 ハーカー先生とは、朝早くよく小田原の海岸まで一緒にジョギングをしたり泳いだりしたことも良く覚えている。小田原の海は危険だ。少し沖に出ると、戻ってくるのが難しいのだ。私は、何度か「死ぬかもしれない」と思い、必死で海岸まで泳いだ。

 さてLIOJのプログラムだが、もちろん朝から晩まで英語しか話さなかった。当時は三カ月という長期だったが、私にとっては、生まれてはじめて本気で、何かを学んだときだった。そのころMRA移動高校の生徒が同じビルに寄宿しており、「高校生は気楽でいいな」と横目で羨望の目で見ながら、必死で英語に取り組んだ。

 当時、大学は中退しており、英語は中学生の時から一番嫌いな科目だった。したがって、英語力といったらまさに「カタコト英語」だけ。それが今では英語のプロとして、世間には思われているわけだから、LIOJの教育は優れていたに違いない。

 私の英語力の基礎は、この三ヶ月間にできたことだけは、間違いないと言える。英語の本で文法を勉強して、「文法は易しい」とはじめて思った。それまでは、英語の中でも文法が一番嫌いだったのだ。次に当時使っていた教材「イングリッシュ900」を何度も、何度も聞いて丸暗記した。

 この二つのことが、私には大きなプラスだったと思う。ロサンゼルスに渡ってペースパブリケーション社で働いた最初の六ヶ月間、みんなが何を話しているのか分からず苦労した。そのころ現地の英語の先生に言われた。「あなたの英語はイングリッシュ900そのままね・・・」。褒められたともいえるし、馬鹿にされたともいえるが、ともかく、当時はそれしか話せなかったのだ。

 LIOJの卒業式で、私はハーカー先生のスピーチの通訳を依頼された。そのときは木村利根子先生に、通訳のコツを教えていただいたのも嬉しかった。そのコツは、今でも役に立っている。

 というわけで、英語のプロとしての私の全てはLIOJから始まったといえる。もっとも英語のプロだと威張る気はない。日本語力も不十分だと自認しているのに、英語力を誇る気など毛頭無い。今からでもまたLIOJで勉強したいぐらいだ。LIOJは今も昔も理想的な環境で、理想的な教育をしている、珍しい機関だとつくづく思う。

大地 舜(だいち しゅん)

青山学院大学卒。国際フォトジャーナリスト。米国オピニオン誌「ニューパースペクティブ・クオータリー」東京駐在員。「グローバル ビューポイント」(ロサンゼルス・タイムス・シンジケート)東京駐在員。主な訳書に『神々の指紋』『創世の守護神』(小学館文庫)、『神々の世界』(小学館)、『天の鏡』(翔泳社)、『不沈 タイタニック』(実業之日本社)、『魔法の糸』(実務教育出版)、『苦悩の散歩道』(小池書院)、『夢をかなえる一番よい方法』(PHP研究所)、『最高にうまくいくのは何時と何時』幻冬舎など多数、著書に『沈黙の神殿』(PHP研究所)『躍り出るアジア4都市』(かんき出版)がある。インターネット同人雑誌「ウイークリー黄トンボ」主宰 HP:www.kitombo.com

受講:1968年


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