LIOJ 35th Anniversary
「LIOJで創った私の鍵」
佐藤淳

LIOJビジネスマン向け英語講座の受講の動機、受講中のエピソード、と卒業後私の業務への影響について、箇条書きにします。

1.受講の動機

私は20代前半に3年半余りMRAの業務に従事してアメリカで過ごす機会に恵まれた結果、日常生活で英語が使えるようになった、と思ったが正確な文法で会話しているか、文章を書くのに正確な用語と順序で書いているのか等不安になり、基本をきちんと習い直したい、という動機で1969年にLIOJの英語講座を受講することにした。

2.受講期間中の思い出のエピソード

LIOJでは、英会話の定型文を繰り返し暗記して覚えることで基礎を作る。英語で生活するので、それぞれの状況で定型文を応用して反応する英文、話題を考えて話し始めの英文等が思いつかないことが多く、始めは慣れないで苦労した記憶がある。

先生と一緒の食事も授業の延長で、始めは相手のペースに合わせて会話しながらの食事であったため、食べる量が少なかったり、消化不良を起こしたりした、が定型文の応用に慣れると話しながら食事も出来るようになった。その後先生の会話の始め方、反応して会話を継続する要領等を毎日試して実践・応用で、楽しい学生時代の気分を味わった。

シェクスピア文学、カンタベリー物語等に詳しい先生がおられ、現代英語ではもう使用してない古い難しい用語、英語用語の歴史的遍歴・背景、文化的習慣等を話してくれたことは単なる英会話学校とは違った文化・教養講座もあり、新しい興味の対象を広ろげるきっかけとなった。一方、年令の若い先生方が多かったので課外授業として、アメリカの南部・南西部地方の出身地の先生が西部劇の映画で見るウエスタンカントリーファークダンスのような踊りを2-3組になって音楽に合わせて披露し、私たちに教えてくれた。このカントリーファークソングダンスのパーテイーを週末の休日にアジアセンターのホールで開き楽しい思い出となった。

卒業するとき、生徒がスピーチを用意して発表することになっていた。私はこの講座で教室での討議に各人がそれぞれの考え方、物の見方を発表するのを聞いて、自分の生きてきた世界とは違う、考え方、物の見方があるものだ、と感心した。アメリカでも黒人、アメリカ原住民(インヂアン)、白人もイギリス系、ロシア系、ドイツ系といて、中国人、韓国人らと一緒に生活して体験したカルチャーショックと同様の印象と感激を受けたのでそれを題材に「私のカルチャーショック」、と題して卒業のスピーチとして発表した。

英語を使って異文化の人たちと一緒に生活するにはOpen mind, But Patientの気持を継続して接すると新しい世界が開かれるという楽のしさを講座の受講生活で実感した。これはその後私が実務に従事したときの基本的な心構えとなった、と思う。

3.卒業後の業務への影響

LIOJの講座を卒業後私はコンサルタンツ会社に就職した。私は、大学で土木工学を学んだので、英語を使って国と国、人と人を結ぶカルチャーブリッジを架けるようなインフラ整備事業、開発調査のプロジェクトに挑戦しようと思った。その後25年余りの間にアフリカ(エジプト、タンザニア)、アルゼンチン、チリー、ブラジル、ロシアから独立した東ヨーロッパ諸国、ミクロネシア、中国、フィリピン、インドネシア、パキスタン、スリランカ、台湾等の国々で政府開発援助を主体としたインフラ整備・開発調査の業務に従事して来た。

それぞれ国の歴史、文化、人種、宗教、社会環境、制度、等の違いによるハードルを越えて自国の発展のために社会基盤(インフラ)整備事業を進めたい、と思っている人々と共通の目的と相互の信頼関係を築くには英語を共通語としたコムニケーションが十分にできる必要がある。LIOJで過ごした英語での生活体験が役立った、と感じるときがある。

今までの仕事人生を振り返ると、人との出会いで新しい事を学ぶきっかけとなってきたので、「会う人全てが私にとっては教師」、という気持ちを持つようになってきた。

異文化の人々との出会いで、特に印象に残ったのは、30代にパキスタンの業務で出会った熟練土木技術者がいる。彼は第2次戦争でイギリス軍の下で日本軍とバングラデッシュとミャンマーの国境で戦った経歴の人だった。彼は吉田松陰や日本の近代史に興味を持って、日本の近代化に貢献した人たちの話をよく聞かされ、日本の歴史を熟知しているのに非常に感銘した。40代ではインドネシア人で彼は本を読むのが趣味で、源氏物語の英訳本の購入を頼まれたのをきっかけにインドネシアに行くたびにお土産に日本の文学書の英訳したものを持参している。彼らから日本文学、歴史を改めて勉強しようという動機付けをしてもらった、と感謝し今は乱読だがいろいろの分野の本を、英語のペーパーブックも含めて読むようになった。

こうした交流が始められ、継続出来たのもLIOJで体得した英会話の要領が彼らの心を開くことになったからと思う。正しい英会話は異文化の相手と、相互の人格を尊重し、相互理解と信頼関係を築くための貴重な道具のようなものだと痛感している。

LIOJでの勉強は僅か3−4月間だったが一般の学校で勉強するより受講生活だけでも10倍以上の生活体験をしたと思う。しかしそこで学んだことをその後も継続して実践で使用してないと、覚えた英語も年と共に忘れていく。英語自身時代と供に変化しているような気がして、学んだことを活性化する必要がある、と痛感している。そのため英会話の要領を思い出そうと計って、時間を作って英語の映画、特にハリウッド映画を見るようにしている。アメリカの地方都市・州の田舎町やそこの自然風景、郊外の景色などを懐かしく見ながら、最近のアメリカの老若男女がリズミカルに会話をするのを聞いていると、昔LIOJで使用した教科書に出ていた定型文を思い出したり、また業務と類似した状況の物語では、まれに新しい仕事のアイヂア、戦略なども思い浮んだり、することがある。映画のなかの簡単なフレーズ、例えば“One Fail, All Fail” 等、気になった会話をLIOJの受講教室で良くメモすることを教えられたことを思い出して時々記録しておくこともある。

私に取って英会話は異文化の人とのコムニケーションに必要な心の扉を開く鍵の役割を果たしてきた。それをこれからも錆びないように、使用して生涯現役の気分で異文化の人たちと交流が続けられる人生を送りたい、と思っている。

受講期間: 1969・11月−1970・2月まで

現在:パシフィックコンサルタンツインターナショナル(PCI)に勤務


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